2016年4月21日木曜日

結成!東京新のんき連

2009年8月8日徳島新聞

2009年の夏の高円寺阿波おどりも終わり、現在も『東京新のんき連』の活動の中心で頑張っているY一君・Kじ君・S鼻君・Eじ子ちゃん・Yい君などの新高会のメンバーに、『徳島新のんき連』で男踊りを踊っていて東京に住んでいるH子ちゃんも加わり、私達夫婦と合わせて10数人が新連設立メンバーとなり、9月22日にセシオン杉並にて予定している新連最初の練習会(結成総会&入連希望者説明会も同時開催)に向けて、人集めを中心とした新連結成の動きが本格的に始まりました。

 
H子ちゃん
『徳島新のんき連』で一緒に踊っていたH子ちゃんの合流は、ほとんど素人に近いメンバーばかりの新連には心強い援軍でした。

 
まずは新連の命名に苦労しました。
連の名前は連の看板ですから軽々には決められません。
今までは、新のんき連の『新』と高円寺の『高』を一文字ずついただき『新高会』でしたが、そのまま連名にしてしまうと50年程前に新高円寺通り商店街(現在のルック商店街)にあった『新高連』と一緒になってしまい、現在も『新高連』出身の方が他の連に大勢いる中では許される事ではありません。
と言って何かピンとくる連名も思い浮かばず、9月に入り3つ~4つの候補名をあげて徳島の池田連長に選んでいただこうと手紙を出しました。
そうしたところ、思わぬ返事が池田連長から入り驚きと緊張が身体中に走りました。
その返事は東京在住の『新のんき連』の連員夫婦が起こす連ならば、きちんと『新のんき連』を名乗って欲しい!!との事で、『新のんき連』の上に地域名を付けるならば、『新』という言葉には『江戸』よりは『東京』の方が合うと考え『東京新のんき連』と名乗る事にしてはとの事でした。
その結果『東京新のんき連』をありがたく名乗らせていただく事になりました!

 
 
東京新のんき連』を名乗る事になりさらに大変になりました。
徳島の有名連の重みに対し、私達夫婦とH子ちゃん以外の全員がこの夏までは未経験で、さらに未経験者を中心に連員を募っていましたのでどうしようかとの思いもありましたが、そこは開き直り「ともかくいっぱい練習をしよう!」他の連の何倍も練習して少しでも上達するしかないと思い、練習可能な場所を押さえて練習スケジュールをいっぱい組みました。
今でも『東京新のんき連』は練習が多いと良く言われますが、その時にたくさん練習する伝統が生まれたようです!

 

さて、『新高会』メンバーも友人・知人などに対しての声がけが進み、『新高会』メンバーも含め9月22日には40人前後の希望者が集まる事になりました。
当然、私達夫婦とH子ちゃん以外はこの夏まで全員が未経験です。
連としては来年の高円寺に出場するために最低でも30人以上の連員は集めたいところですが、阿波おどり未経験の人達に来年8月の阿波おどりを目指してこれから毎週のように練習を積み重ねて行きます!と言っても理解してもらえないのではとの思いもありました。
しかし、それでも『徳島新のんき連』や徳島の有名連のプライド、そして高円寺阿波おどりの歴史的な事も含めた重みなどを説明し、その上で『東京新のんき連』は少しでも阿波おどりを上達したいと思う方に入連していただきたいという方針を伝えてみる事にし、設立メンバーにも事前の打合せ会で説明の上、結成総会&入連希望者説明会に臨みました。

 


結果的には、二十歳以上も離れた若い方たちにただ集まって楽しむだけではなく、「本格的な阿波おどり連を目指す宣言!」が受け入れられて、翌週の練習会には15人の『新高会』メンバーから(1部の方は新連に参加しませんでしたが)連員数が25人と増え、多くの方が『東京新のんき連』入連してくれました。
その後、年末には連員数が約40人を超える連となっていました。

 
9月の結果を受けて、10月上旬に徳島市内にて『徳島新のんき連』の役員の皆さんと会合を行い、『東京新のんき連』は『徳島新のんき連』の正式な東京支部である事とともに、活動地域(東京・高円寺)に合わせ『徳島新のんき連』とは別の規約を持ち、会計面でも『徳島新のんき連』と分離した独立連である事を確認し合い、正式に『東京新のんき連』として発足いたしました。


 
 

 
 

東京新のんき連』発足までに、多くの皆様にご支援・ご指導を賜りました事、今さらではございますが、心より感謝を申し上げます。

 

さて次回からは、東京新のんき連』発足後からデビューまでをご紹介したいと思います。