2016年5月31日火曜日

東京新のんき連・ いざ!発進 

今回は【誕生!・東京新のんき連】編の最終回として、『東京新のんき連』の東京での阿波おどり踊りデビュー(2010年小金井阿波おどり)をご紹介したいと思います。


2009年9月の連結成から汗と涙と笑顔とアルコールの9ヶ月が過ぎ、2010年の6月になり私の仕事関係の知合いの方のご配慮で、7月23日(金)・24日(土)の二日間開催される『第32回小金井阿波おどり大会』に参加させていただく事となりました。ほとんどが新人の連員達の阿波踊りデビューが決まり、さらに練習のペースと意気込みが盛り上がってきました!



そんな盛り上がっている連員達の思いとは裏腹に、私には心配事が幾つかありました。
東京新のんき連』の阿波踊りデビューはとても嬉しい事なのですが、何年か前に他連で参加さていただいた小金井阿波おどりでは、流し踊りだけでなく駅前の広場演舞や裏道(ムサコ通り)での組踊りがある事を思い出したからです。
東京新のんき連』の現状は、踊り子達はやっと踊りの基礎が終わり、少しずつ簡単な流し踊りでの演舞構成を練習し始めたところで、お囃子は太鼓チームはミュージシャン系も多く基本的なテンポは問題はないのですが、室内の練習だけで野外の経験がなく、阿波踊り独特の野外でのパワー溢れる音出しが出来るだろうか?
また笛チームにおいてはまだまだしっかりと音が出てない状況で、メロディー不在のお囃子状況から抜け出せないままです。
そのような私達の技量で広場演舞や組踊りまでこなせるだろうか??
デビューの楽しみの中にも、不安と言うか?心配事と言うか?言い知れないものがありました。

しかしこんな時こそ連員達の笑顔を見るようにして、「どんな物事でもデビューとは不安や心配を抱えながらも、期待に思いを膨らませ前向きに臨むもの」とポジティブに物事を捉え、現状の技量で出来る最大限のパフォーマンスをH子ちゃんと考え、1ヶ月足らずの練習期間に取り入れていきました!


広場演舞では、幸いにも6月の徳島練習で大太鼓のKじ君が徳島の太鼓演出の打ち方を、そしてYい君が三味線演出の弾き方を教えてもらい、その2つの演舞構成を軸に短期間で練り上げたオリジナル構成などと組み合せて、8分間の駅前広場での演舞構成を完成させました!

その時の演舞構成を今でも出演先で使う事があり、今では基礎を終了した連員さん達の課題演舞的な存在となっている構成として残っています!


6月後半から、流し踊りの構成・8分間の広場構成・裏通りの小スペースでの5分間の組踊り構成を2種類、デビュー前の1ヶ月という短い期間で、ほとんどが新人を中心に仕上げていけた事は、8ヶ月もの間の毎週の基礎練習があったからだと思えました。

東京新のんき連』の基礎練習重視の方針は、1年目から証明されていたんですね!
いよいよデビュー当日の7月23日を迎え、心地よい緊張に包まれ控室に入りました。
ところがそこでも新連ならではの問題が発覚です!

19時20分の踊り出しのため、控室からの移動を15分と10分前のスタート地点到着を考慮し、30分前の18時50分には控室前を出発するために、16時控室使用開始で余裕を持って18時30分に着装し控室前集合と発表してましたが、控室に入ってから2時間半を経過した18時30分の集合時間になってもほとんど連員が控室前に出てきません?

そうなんです!着付けが間に合っていないのです!
30数人の着付けが2時間半経っても完了していないのです。
5月から何回かは着付け練習会を行ってきましたが、帯が上手く結べないなどの困った連員が続出してしまい、手馴れている者が2~3人ではどうにも対応が厳しかったようで、バタバタ状況での集合になってしまいました!
それでも何とかスタート地点での集合時間には間に合い、じっとデビューの時を待つ事が出来ました!


2010年7月23日19時20分に小金井駅北口・小金井街道演舞場にて、『東京新のんき連』の高張り提灯が誇らしげに上がり、あの『新のんき連』の連打が東京で始めて鳴り響きました!!





◆7月23日(金)・32人参加⇒小金井街道・北口流し踊り~ムサコ・長崎屋前組踊り~
北口駅前ロータリー広場演舞~南口駅前ロータリー流し踊り・・・全員踊り完了
◆7月24日(土)・39人参加⇒ムサコ・松や前組踊り


南口駅前ロータリー流し踊り~小金井街道・北口流し踊り~ムサコ・松や前組踊り~南口駅前ロータリー流し踊り・・・最終流し踊り前に女踊り1人が体調不良で棄権、その他全員踊り完了
打ち上げは40人で今はなき高円寺GABURIに盛大に開催!
と記録に残されておりますが、失敗した事沢山・ちゃんと出来た事少々で、課題は山のようにありました。しかし、この小金井阿波おどりのデビューで課題が始めて見えてきました!

課題が分かるって事は大変なようですが、課題が分からない事のほうが恐ろしい事で、8月の高円寺阿波おどりに向けてさらに練習が熱いものになっていきました!

練習だけでなく飲みの方もさらにアップしていきましたが!!
大勢の皆様にご支援・ご指導そして温かい励ましの言葉をいただきながら、『東京新のんき連』が阿波おどりデビューを無事に果たす事ができました事を、心より関係された皆様に感謝を申し上げます。

また、2010年7月の『小金井阿波おどり』でのデビュー以後の『東京新のんき連』の歴史はすべて連員達の歴史となります。
機会があれば連員の皆さんにも東京新のんき連の歴史を記してもらえる事を期待しております!

最後に【誕生!・東京新のんき連】編を通して、『東京新のんき連』が練習と飲み会が大好きな連(笑)だと言う事をご理解いただき、これからも温かいご声援をお願い申し上げます!


記念すべき初出演!初記念撮影!

















2016年5月23日月曜日

1年先を夢見て今やれる事!・・・それは練習


2009年の9月に連を結成し、翌月の10月からはいよいよ本格的に阿波踊りの練習がスタートしました。

楽器も大太鼓を4張と締太鼓を中古で1張を追加購入し、全部で大太鼓5張と締太鼓2張が揃いました。(大太鼓は翌春にさらに1張を追加購入しました)

踊り子も楽器も揃いこれで本格的な阿波踊りの練習が出来ると思いきや、肝心な技量がまだ全然揃っていないのです!
10月には30人近い連員数になっておりましたが経験者は3人だけの状況は変らず、それでも踊り子は足捌きの練習を3ヶ月以上は行う予定でしたので、CD音源で何とか対応できましたが、鳴物はそうはいきません!

鉦・笛・三味線・大太鼓・締太鼓の基本楽器が揃っての演奏は、いつになったら出来るようになるかの予測もつかいない状況です。
特に笛と三味線は外部の他連の方にお願いして基本から指導してもらっていたため、上手くいってとりあえずの音が出せるまでには早くても半年はかかると考え、全体の練習とは別枠で私の自宅や音楽スタジオでの練習を重視しました。
また大太鼓は、当初は新のんき連独特の連打はあきらめ、しっかりと2拍子を平打ちで叩く練習を繰返し、笛のメロディーがないためCD音源に合わせて太鼓を叩いてもらう事も時折ありました。
 
それでも太鼓チームには音楽関係者(ミュージシャン)が多くいたため、テンポを刻む事は早く吸収してくれました。
また当初は締太鼓を希望する者が女性ばかりで、非力な女性ばかりでは毎回の練習で太鼓を締める事が覚束ない状況で、私が締めていると練習が止まってしまうため、練習前は自宅で締太鼓を締めてから練習場に向かっていました。
そんな状況を知り連の結成メンバーのKじ君(大太鼓)が、ミュージシャン仲間の男性を連れて来て、締太鼓としての連員になってもらい心強い限りでした!

 


池田連長を迎えての踊り子練習

また結成2ヶ月目の11月には、徳島から『新のんき連』の池田連長にも来ていただき、平日でしたが新宿のダンススタジオを借りて、踊り子達に直接のご指導をいただきました。
特に踊り子を指導している家内とH子ちゃんは専門が男踊りのため、女踊りの池田連長の指導は踊り子だけでなく、女踊りを指導している家内やH子ちゃんにも指導ポイントの確認が出来て非常に助かりました。

 


今でも連員が使うC前屋

メンバーの誕生日会

今はなきGABURI高円寺店




連員数は順調に増えていきその年の暮れには連員数も40人を超える連になりました。
その大きな要因は、皆が阿波踊り初心者である事とも大きな要素でしたが、当初からの連員達がとても飲み会好きで打解け易い雰囲気があったからとも思えます!
連結成一年目はともかく飲み会が頻繁に開かれました。
休み前の飲み会では必ずと言って良いほど朝まで飲み明かし、始発電車で帰る者や我家に泊まっていく者もいました。

そんな飲み会では「練習後のビールが上手くて止められません!カンパ~イ!」のお決まりの一言から始まり、今生の別れのような物凄い飲み方で飲み明かし、また来週には直ぐに会って「練習後の・・・・・カンパ~イ!」と始まる次第でした(笑)

練習!練習!練習!と言っていましたが、正確には練習&飲み会!練習&飲み会!練習&飲み会!の繰返しの10ヶ月でした!!

 








2010年の4月に『新のんき連』の男踊りの衣装も女踊りと合わせて花火柄に新調しため、それと同時期に東京にも衣装が届き(新のんき連は、徳島と東京は同一衣装です)、『東京新のんき連』も5月の始めにはセシオン杉並で一斉に衣装着付けの練習を行いました。
連員全員で新しい衣装を身にまとい室内ですが高張りを先頭に流し踊りや輪踊りの練習を行うと、殆どの連員が衣装を初めて着るためたいへんな苦労でしたが、嬉しそうな笑顔がいっぱいに溢れていました!

 

また6月には『東京新のんき連』から12人で徳島まで練習に行き、初めての『新のんき連』合同練習が行われ、徳島の皆さんに直接のご指導をいただくなど、徳島の『新のんき連』とも交流が深まっていきました。(以後、毎年実施の恒例になりました)
鳴物メンバーは個別には演舞構成の音出しの指導も受けて、それがデビューの時に大いに役立ちました!(その事は次回にご紹介します。)

 

眉山でのS鼻君とKジ君

徳島新のんき連との合同練習
 

2009年9月の連結成時から、ともかくたくさん練習をして少しでも技量を向上させたいとの思いで始まった『東京新のんき連』の練習は、翌年6月には10ヶ月も過ぎようとしていました。
 
初心者だらけの私達に出来る事は向上心を持っての練習だけで、頭で考えるより身体で覚えろ!の10ヶ月でしたが、向上心が強いが上でのぶつかり合いもあり、50歳を過ぎて再び青春が体験でき今更ですが連員達に感謝をしています!
連員のみんな、本当に頑張ってくれて あ・り・が・と・う!

 

いよいよ次回は、その「汗を掻きながら、笑って・泣いて・また飲んで」の10ヶ月から、【誕生!・東京新のんき連】編の最終回として『東京新のんき連』のデビューについての事をお伝えしたいと思います。

2016年4月21日木曜日

結成!東京新のんき連

2009年8月8日徳島新聞

2009年の夏の高円寺阿波おどりも終わり、現在も『東京新のんき連』の活動の中心で頑張っているY一君・Kじ君・S鼻君・Eじ子ちゃん・Yい君などの新高会のメンバーに、『徳島新のんき連』で男踊りを踊っていて東京に住んでいるH子ちゃんも加わり、私達夫婦と合わせて10数人が新連設立メンバーとなり、9月22日にセシオン杉並にて予定している新連最初の練習会(結成総会&入連希望者説明会も同時開催)に向けて、人集めを中心とした新連結成の動きが本格的に始まりました。

 
H子ちゃん
『徳島新のんき連』で一緒に踊っていたH子ちゃんの合流は、ほとんど素人に近いメンバーばかりの新連には心強い援軍でした。

 
まずは新連の命名に苦労しました。
連の名前は連の看板ですから軽々には決められません。
今までは、新のんき連の『新』と高円寺の『高』を一文字ずついただき『新高会』でしたが、そのまま連名にしてしまうと50年程前に新高円寺通り商店街(現在のルック商店街)にあった『新高連』と一緒になってしまい、現在も『新高連』出身の方が他の連に大勢いる中では許される事ではありません。
と言って何かピンとくる連名も思い浮かばず、9月に入り3つ~4つの候補名をあげて徳島の池田連長に選んでいただこうと手紙を出しました。
そうしたところ、思わぬ返事が池田連長から入り驚きと緊張が身体中に走りました。
その返事は東京在住の『新のんき連』の連員夫婦が起こす連ならば、きちんと『新のんき連』を名乗って欲しい!!との事で、『新のんき連』の上に地域名を付けるならば、『新』という言葉には『江戸』よりは『東京』の方が合うと考え『東京新のんき連』と名乗る事にしてはとの事でした。
その結果『東京新のんき連』をありがたく名乗らせていただく事になりました!

 
 
東京新のんき連』を名乗る事になりさらに大変になりました。
徳島の有名連の重みに対し、私達夫婦とH子ちゃん以外の全員がこの夏までは未経験で、さらに未経験者を中心に連員を募っていましたのでどうしようかとの思いもありましたが、そこは開き直り「ともかくいっぱい練習をしよう!」他の連の何倍も練習して少しでも上達するしかないと思い、練習可能な場所を押さえて練習スケジュールをいっぱい組みました。
今でも『東京新のんき連』は練習が多いと良く言われますが、その時にたくさん練習する伝統が生まれたようです!

 

さて、『新高会』メンバーも友人・知人などに対しての声がけが進み、『新高会』メンバーも含め9月22日には40人前後の希望者が集まる事になりました。
当然、私達夫婦とH子ちゃん以外はこの夏まで全員が未経験です。
連としては来年の高円寺に出場するために最低でも30人以上の連員は集めたいところですが、阿波おどり未経験の人達に来年8月の阿波おどりを目指してこれから毎週のように練習を積み重ねて行きます!と言っても理解してもらえないのではとの思いもありました。
しかし、それでも『徳島新のんき連』や徳島の有名連のプライド、そして高円寺阿波おどりの歴史的な事も含めた重みなどを説明し、その上で『東京新のんき連』は少しでも阿波おどりを上達したいと思う方に入連していただきたいという方針を伝えてみる事にし、設立メンバーにも事前の打合せ会で説明の上、結成総会&入連希望者説明会に臨みました。

 


結果的には、二十歳以上も離れた若い方たちにただ集まって楽しむだけではなく、「本格的な阿波おどり連を目指す宣言!」が受け入れられて、翌週の練習会には15人の『新高会』メンバーから(1部の方は新連に参加しませんでしたが)連員数が25人と増え、多くの方が『東京新のんき連』入連してくれました。
その後、年末には連員数が約40人を超える連となっていました。

 
9月の結果を受けて、10月上旬に徳島市内にて『徳島新のんき連』の役員の皆さんと会合を行い、『東京新のんき連』は『徳島新のんき連』の正式な東京支部である事とともに、活動地域(東京・高円寺)に合わせ『徳島新のんき連』とは別の規約を持ち、会計面でも『徳島新のんき連』と分離した独立連である事を確認し合い、正式に『東京新のんき連』として発足いたしました。


 
 

 
 

東京新のんき連』発足までに、多くの皆様にご支援・ご指導を賜りました事、今さらではございますが、心より感謝を申し上げます。

 

さて次回からは、東京新のんき連』発足後からデビューまでをご紹介したいと思います。

 

2016年4月7日木曜日

『新高会』メンバーの2009年・夏

こんにちは。笠井です。
私の連載第5話目の今回は『新高会』での活動をご紹介したいと思います。

私達夫婦の2009年の夏は、『新高会』メンバーとの6月後半からの『江戸歌舞伎連』での活動と、徳島での『新のんき連』の活動もあり大忙しでした。

7月に入ると、『江戸歌舞伎連』の小田急線・向ヶ丘遊園駅前で開催される『民家園通り商店会夏まつり』や、『神楽坂まつり』への出演があり、高円寺本番前の前哨戦として『新高会』メンバーも出演さていただく事になりました。
『新高会』メンバーは8月末の高円寺阿波おどりしか知らず、高円寺の多くの連が7月中頃から各地の阿波おどりに出演している事や、そこでその年の新人さん達が数多くデビューしていた事なども知る事ができ、来年に向けてとても勉強になりました。

さて『新高会』の踊り子たちのデビューは7月19日(日)に開催された『民家園通り商店会夏まつり』でした。
初めて着る衣装に興奮したのか、線路沿いでの組踊りの時に、正面のお客様を見ずに後ろの線路に向かって踊っている『新高会』メンバー(Y一君・・・現在も連員です)もいて、ほろにが~いデビューでしたが、その日は着装して出発する直前に『新高会』の船出を祝ってくれているかのような、とても綺麗な虹がかかった事は今もしっかりと覚えています!

踊り子デビュー・民家園通り(Y一くん&S鼻くん)

デビュー翌週の『神楽坂まつり』の出演を終えると、私達夫婦は再び徳島での『新のんき連』の練習参加でしたが、その直前に『新高会』メンバーのS鼻君(現在も連員です)から、8月1日に日本一のライブハウスとも言うべき老舗『新宿LOFT』で行われる異色のイベント「夏祭り」に阿波おどりで出演して欲しいとの無謀すぎる頼み事をされ、当初はお断りしてましたがどうしてもの頼みで、『新高会』メンバー募集のチラシ配りを条件に急遽出演する事にいたしました。
新宿LOFT

何が無謀かと言うと、練習もなしにお囃子もなくCD音源で、ほぼ素人に近い踊り子4人と私達夫婦だけで、5分近くも阿波踊りを踊るというような内容で、さらに4人の『新高会』メンバーの踊り子の衣装もなく、ないない尽くしの出演は阿波踊りを甘く見ていると言うか無謀過ぎると言うしかありませんでした。
・・・それでも徳島に行った際に既成品の阿波踊り法被を4組調達し、泊まったホテルに置いてあった阿波踊り団扇も4枚もらい、さらに私達夫婦は『新のんき連』の衣装着用の許可を池田連長にいただくなど、なんとか出演当日を迎えました。
4人の踊り子たち

当日はCD音源でなんとか前半は無難に乗り越えましたが、終盤にはお客様達と一緒に踊って盛り上がりを迎えるエンディングのはずが、最後にCDプレヤーのアクシデントが起こり用意していた大太鼓1本だけの演奏で締めくくった次第で、会場にバンドの出演で居合わせたは『新高会』鳴り物メンバーのKじ君(現在も連員です)に、どのように映ったかを聞くのは怖くて止めときました!

今考えてもぞ~とする出演でしたが、『新高会』での最初で最後の1回だけの出演であったことは間違いございません!
S鼻くん
Y一くん

では、そんな『新高会』最初で最後の出演を少しだけお見せしたいと思います・・。


いかがですか?
無謀過ぎる挑戦、ゼロからのスタート、それでも楽しそうに精一杯踊る姿は何かを伝えられたのではないかと思います!


その後そんな事にもめげずに(無謀さに気付いていなかったようですが)、『新宿LOFT』に出演したY一君とS鼻君の二人は、お盆の徳島にも見学に来て徳島の連員さん達に踊りの指導も受け、その他の『新高会』踊り子メンバーと一緒に『江戸歌舞伎連』で高円寺阿波おどりを体験させていただき、阿波おどりの楽しさに触れ阿波踊りに対しての熱い思いを持つことが出来ました。
失敗して多少の恥もかきましたが、その熱い思いこそ2009年・夏に得れた大きな財産と今は思えています!
徳島武者修行

そんな『新高会』メンバーが中心となり、9月からはいよいよ新連結成に向けての活動が本格的に始まろうとしている2009年の夏の終わりでした。

次回は、連結成についてのお話に続きます。
ご期待ください!

2016年3月25日金曜日

「はじめの半歩」を飛んでみた!

今回からは『東京新のんき連』の誕生から、東京での阿波おどり踊りデビュー(2010年小金井阿波おどり)までを何回かに分けてご紹介したいと思います。


私達夫婦も徳島の『新のんき連』に通い始めて4~5年目頃には年齢も50歳に近づき、往復の車の運転も月に何回もだと辛く感じるようになってきました。
出来れば東京で練習の場を設けたいのですが、一連を起こすほどの力も人脈もなく、また他の連では独特の連打では合わせ難いため『新のんき連』の練習は出来ませんでした。

それならば、近い将来は阿波おどり連として活動するための阿波踊りの練習会を作ってみよう思い立ち、2009年の春先の徳島での『新のんき連』の練習の時に、池田連長に相談したところ賛成していただき、東京に戻り友人・知人・親戚などに声をかけ阿波踊りの練習グループを立上げる事にいたしました。


何事もまずは一歩、いや半歩でも踏み出さなければ始まらず、先行きの事などは少しでも進めてから考えていこうと思い、小さな力の私達夫婦の大きな決断でした!


その阿波踊りの練習グループは、新のんき連の『新』と高円寺の『高』を一文字ずついただき『新高会』と名乗り、最初の練習会を2009年5月に東高円寺のダンススタジオを借りて行ったところ、10名前後の希望者が集まってくれました。




最初の練習会でしたのでまだ楽器もなく簡単な活動説明をした後に、早速CDを音源にして踊りの練習を行ったところ、参加者全員の真剣に阿波踊りを習おうとする姿勢が伝わってきて、不安一杯で始めた『新高会』に明るい将来を感じさせてくれました!


その後翌月には2回目の練習会をセシオン杉並の音楽室でお囃子を中心に予定しておりましたので、『新のんき連』の練習参加も兼ねて楽器(鉦・大太鼓・締太鼓・笛)の調達に徳島へ行ったり、三味線は中野の飲み屋さんでの知り合いの三味線のお師匠さんを『新高会』に巻き込み、中古の三味線も用意していただくなど、『新高会』の鳴物練習会が開催できるように準備に飛び回りました。

そして迎えた2回目のお囃子を中心とした練習会では、鉦・大太鼓・締太鼓や笛・三味線といった和楽器に触れる事が初めての者ばかりでしたので、演奏すると言うよりは好きな楽器を持ち、先ずは音を出してもらい楽しんでもらう事だけの練習会にいたしましたが、5月の練習会よりさらに入会希望者の人数も増えて、15人が『新高会』の正式メンバーになってもらいました。

メンバーの殆どが20歳代~30歳代の若者で、ミュージシャンや音楽経験者もいて、踊り子だけでなく鳴り物も『新高会』の将来を感じさせる仲間が集まり始めました。
第二回練習会
カジくん初めての太鼓
結くん初めての三味線
15人のメンバーが集まったとは言え季節は阿波踊りシーズン直前の6月です。
当然今年の高円寺には連として参加する事は出来ません。
来年以降の高円寺参加になりますが、私達夫婦以外は阿波おどりの経験がなく、来年もし高円寺に参加出来るようになっても未経験者だけでは不安を残します。

そこで高円寺阿波おどりの経験をさせておく事も大切との思いから、『江戸歌舞伎連』の中村連長にお願いし、その年限定で初心者の踊り子8人と私達夫婦の合わせて10人が、『江戸歌舞伎連』で高円寺阿波おどりに参加させていただく事になりました。
『江戸歌舞伎連』では、6月後半の練習から踊り子だけは参加させていただき、『新高会』の鳴り物メンバーには9月からの本格練習再開を約束し、『新高会』の活動を一時期休む事にいたしました。

夫婦二人で春先から準備を始めた『新高会』は、その年の夏には15人となり「はじめの半歩」を無事に元気良く飛び出す事が出来ました!

何事も「やってみなはれ!」という事ですかね!!

次回はお世話になった『江戸歌舞伎連』での活動など、『新高会』メンバーの2009年・夏をご紹介したいと思います。
第一回練習会用チラシ