2016年3月18日金曜日

新のんき連との出会い


こんにちは。笠井です。
前回は私の阿波おどり人生の前半部分についてお話させていたできましたが、今回は後半戦。
私が阿波おどりを再開してから新のんき連と出会うまでについてお話ししたいと思います。

子供の頃の阿波おどりを卒業する頃には他の楽しい遊び(いろいろと??)を覚えて自然に阿波おどりから離れてしまい、大学を卒業し社会に出ると仕事で大阪や埼玉に長く住むことになり、阿波おどりからはさらに離れてしまいました。

転機がおとずれたのは40歳頃のとき。
住まいが高円寺と同じ杉並区内の荻窪に戻ってきたことから始まります。
お祭りが大好きな家内が阿波おどりを踊りたいと言い出し、私が子供の頃に一緒に踊っていた熊木氏が所属している『舞蝶連』に入連させ熊木氏に踊りの指導をお願いしました。
当初の私は仕事で練習には参加できませんでしたが、本番では連の警備などのお手伝いをさせていただくうちに、大太鼓くらい叩いてみたらの誘いから『舞蝶連』に入連しました。

『舞蝶連』では、8月お盆の徳島阿波踊りに『徳島・菊水連』との友好連関係から毎年参加しておりましたが、私達夫婦も連とは別行動で徳島に行っておりました。(少しでも長い日程を希望していたため)
その徳島では、昼間は市民文化センターと郷文会館の選抜阿波踊りをダブルヘッダーで見て、夜は『舞蝶連』での活動(1日か2日)以外は桟敷や街中の阿波踊りを見て廻っていました。

そしてそんな私たちに今後の阿波おどり人生を左右する出会いが訪れます。
徳島の桟敷で、とっても軽快なテンポで楽しそうに踊る連が私達夫婦の心に留まったのです。
そうです!
姓億(せいおく)連長が率いる『新のんき連』です!!



徳島では最古参(発足は大正時代)の『のんき連』から、当時のスター踊り子の姓億政明氏が昭和43年頃に『新のんき連』として独立し、姓億連長独特の早めの軽快なテンポに合わせた阿波踊りは50年近く経った今でも連のカラーとなっております。

また姓億連長の浮世絵の写楽顔に似たポーズは「写楽踊り」と称され、『徳島・葵連』の小野正巳連長の「ポッポ踊り」と並び、阿波踊りの世界ではミスター阿波踊りと呼ばれる程のスーパースターでした。


私達夫婦が『新のんき連』に飛び込んだのはそんな姓億連長が引退する年の事で、姓億連長の最後の藍場浜での雄姿を見させていただいた年です。
その年の『新のんき連』は西新町に詰所を構えておりましたが、ご祝儀を持ち詰所に飛び込みで「東京から来ましたがとても素晴らしい阿波踊りをありがとうございました」と言って帰ってきました。

その後9月に入り東京に戻った私たちに『新のんき連』の東事務局長からお礼の連絡をいただき、それから『新のんき連』とのお付き合いが始まりました。


『新のんき連』とのお付き合いは始まりましたが、高円寺では『舞蝶連』に所属しておりお誘いはありましたが『新のんき連』の練習には参加せず、『新のんき連ファン』として過ごして『新のんき連』の阿波踊りを見ておりました。

その後、私の仕事が土・日が中心の仕事となり、『舞蝶連』の活動には参加出来なくなり、『舞蝶連』の古山会長に相談し連を離れる事になりました。

所属連もなく土・日が仕事で阿波踊りから離れてしまいそうになりましたが、『新のんき連』の東事務局長から5月からは平日(3~4回)練習が始まるので一度練習に来てみなさいとお誘いをいただき、平日はかなり自由に時間が取れたため『新のんき連』の練習に参加させていただきました。
平成19年の私と家内

『新のんき連』の練習に参加すると、独特の連打の大太鼓の叩き方は一度や二度の練習では習得できないと思い、『新のんき連』に入連すると言うよりもあの連打を覚えたいとの思いで、平日に時間を取り徳島に通うようになりました。
通うようになり少し経ってから、「次回は車で来て大太鼓を借りて帰りたいのですが宜しいでしょうか?」とあつかましくもお願いをし、車で徳島の練習に参加するようになりました。
平成19年の新のんき連

東京に戻ると近所の音楽スタジオに行き独特の連打の練習をし、徳島に行く度にパワーアップしようと心がけておりました。
『新のんき連』の練習場所は徳島城公園の武道館脇で、助任川を挟み『娯茶平』の練習場の対岸のため、人数の多い『娯茶平』の鳴物に負けない音で叩けるように、テンポだけでなくパワーも求められました。


7月に入ると池田連長から衣装と入連申込書を渡され、「8月のお盆には来れるんでしょ!」とありがたいお言葉をいただきました。
普段の土・日は仕事でしたがお盆ぐらいは夏休みが取れましたので、本当に嬉しいお言葉でした!

普通にしていると美人なのに
たまに変な顔をします

そんなこんなの『新のんき連』一年目を終え、翌年からは通常月は月に一回程度ですが、春からは月に2~3回は徳島まで車で練習に通うようになりました。
平日の練習は一日置きにあるので、間の日は高知などへドライブに行き1回の徳島行きで2回の練習に参加する事もありました。
夜9時の練習終了後に東京に車で帰るのは結構きつかったです。

それでも徳島にいる時は楽しく、徳島の連員さん達からは「いつ来たの?」ではなく「いつ帰ってきたの?」と聞かれるようにもなっていて、軽快で楽しいテンポがいつしか身体に染み渡っていました。

新のんき連の座り踊り

徳島の『新のんき連』に所属していた時代の高円寺阿波おどりですが、親同士がお友達の『江戸浮連』の河原連長に事情を説明して、『新のんき連』でもありながらも『江戸浮連』で高円寺阿波おどりにも参加させていただきました。
『江戸浮連』の皆様には心より感謝申し上げます。

そして・・
平成20年8月 徳島新聞 阿波おどり特集版

当時の徳島新聞にも掲載していただいてしまいました。
本当に憧れと負けん気だけでやってきた私たちですが、こうやって紹介いただくのは照れくさくも嬉しかったです。


これが私と新のんき連との出会いです。

少し長くなりましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございます。
次回からはついに『東京新のんき連』の結成秘話に迫ります。